| エッセイ「大事な何か」 | つれづれ |
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< 悪を悪と見抜ける目 > |
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| とっても興味深かったので、とっておいた記事があったんです。 (以下↓、全文引用、日経のコラム「春秋」H8,4,30) 「悪を悪と見抜ける目を持った人間を育てること」 オックスフォード大学の教育目標をある生え抜きの教授に尋ねたら、こう答えられた(武田清子著「峻烈なる洞察と寛容」)。 同大学で教えたこともある著者は、思いがけない答えだと感じたそうだ。 |
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確かに「悪を悪として見抜ける目」を持つことは大切だが、それが教育の理念として明確に意識されていることは意外に少ないかもしれない。 |
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| 現今の世の中で出されがちな疑問は、「正義」や「悪」を簡単に決められるのか、そもそも決めてよいのか、ということかもしれない。 だが、はっきりした価値観、価値意識を人々が忌避しているとも思えない。 住専問題やオウム真理教事件をはじめ、政治・社会の混迷に対する国民のいらだちを見れば分かることだ。 |
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| 世界が複雑になれば、個人の段階でも政治経済・国際関係の段階でも悪を悪と見抜くには、価値観・倫理観に加え広い知識や深い分析が必要となる。 オックスフォードの教授は、ここにこそ大学教育の使命があると考えていたのだろう。 イギリスのサッチャー元首相は自伝の中で「道徳の第一原則は明晰な思考である」というパスカルの言葉を引用している。 |
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| この文章を読まれて、どう思われましたか? 初めの言葉がいいのは、もちろんなんですけどね、オックスフォードの人が言いたいのと、記者が書いてるのは微妙に違う気がします。 だって広い知識や深い分析だったら、今の教育でもやってるのだし(^^; なんかそこに「ズレ」が象徴されてる気がして、面白いんですけど。。 |
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2000/4/13作成 ぜひ一言!アンケート |
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