エッセイ「大事な何か」 つれづれ

< ムーミンさんのメール >


 なんだろう?この感じ・・・。
きっとみんな悩んでいるんだろうな。
「どうしたらいいんだろう?これからの教育」って。

だって、社会が急激な勢いで変わりすぎているんだもん。
社会全体が技術的進歩を遂げているがために、求められる技術や能力がより高度に、より専門的になっているんだもん。
昔ながらの教育では、求められる能力の教育はできないし、求められる能力を養う教育をするとどこかで歪が出てくるし、能力の格差も出てくる。



 昔は、学力は平均値のところの人数が多い一分極タイプだったのが、今は、平均値より下と、上に山のできる二分極タイプなんだって。
平均値にいた子が、二つのタイプに別れたって事だよね。勉強することをあきらめてしまうか、自分に負荷をかけてがんばってしまうか。

どちらもそれなりに辛いと思う。
だって、本来学ぶ、新しいことを知るって事は楽しいはずなのに、楽しさを知る前にあきらめてしまうなんて…、
本来持っている能力を発揮する努力をあきらめてしまうなんて…。
常に努力を強いられ、少し手を抜くと挫折感を味わうかもしれない、という恐怖と隣り合わせだなんて…。



 学ぶ情報量もすごく多いよね。探究心も湧いてこないよね。
手品で、その種明かしまで教えられているようなもんなのかなぁ?

昔は、その手品の面白さや不思議さが導入で、それ以上のことは興味を持った子が自分で追求していって、試行錯誤しながら成功して「わー、すごい。もっと知りたい。」というところで向上が図れていたのが、今は、より高度な手品を要求されるから、手品の不思議さより手品の種明かしを教えることから始まっちゃう。

「どうして?不思議だなぁ、知りたいなぁ」が抜けて、「そうか。こうなっているんだぁ」から始まってしまうから、探究心も育ちにくいし面白みも欠けてしまう。「種を明かしてやろう」という野望も育ちにくし、感動も少なくなってしまう。









 学ぶことの楽しさ、知ることの感動、追及し達成したときの充実感、やればできるんだという有能感を教えてやりたい。実感してもらいたい。
そして、ストレスの多い社会に出たときに、自分を見失わず対応できるたくましさを身につけてもらいたい。状況判断を的確にし、自分の能力を発揮できる術を、自分の主張を上手に相手に伝える術を身に付けてもらいたい。



 それは、学校教育だけに頼るのは困難。家庭と社会と一体となって…。
でも、家庭でできるか?社会でできるか?…今すぐは無理だろう。長期的展望で、社会人に対して指導していく方法を探っていくしかないのかもしれない。

自分を知ること、自分を許すこと、自分を認めること・・から始まって、相手を知ること、相手を許すこと、相手を認めること。そして、子どもを育てること、一人の人格として認めること、理解すること、能力を引き出すこと、支えてあげること…。

あなたはそれだけですばらしい存在なんだよ。生きているってすばらしいことなんだよ。すべてのものに助けられて、今があるんだよ。すべてのものに感謝しながら共生していくことが大切なんだよ。そんなことを胸を張って教えられる大人になるように…。



 理想論かもしれないけど・・・
子どもだけじゃなく、みんな悩んでいるんだと思う。
生涯教育の充実でも良い。長い目で、広い目で、優しい目で教育というものを考えていかなければならないような気がする。

でも、よくわかんない。難しいね、この問題。奥が深いよ。


                             99/10/17付 フォームメール





 ムーミンさんのメール、私だけしか見ないのはあまりにもったいなかったのでムーミンさんにお願いして、ここに転載させて頂きました。
このメールを頂いて、それまでの「教育編」の全面改訂を決意しました。
ちょっと構造批判に偏りすぎていたなぁ、って思って。。。
今日から改訂作業に入りますが、ムーミンさんの感想を載せさせて頂きましたので、旧バージョンのリンクをとりあえず復活します。
合わせてご覧下されれば、と思います(でもすぐ消えちゃうよー^^)


 99/12/7作成 

ぜひ一言!アンケート

Copyright © 1998-2000 Arty