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エッセイ「大事な何か」 |
特別章 つれづれ |
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< 2001年宇宙の旅 >
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「2001年宇宙の旅」と「モナリザ」が似てると思うのは、僕だけだろうか?
片やSF映画、片や美女の画、目に映るものは似ても似つかない。
それなのに、2つに通じるものを感じるのは、「その表現されたものが、卓越された才能によって、直接表現できないはずのものを表わし得てしまっている」ということだ。
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「2001年」も「モナリザ」も、<心を動かす3つの要素>で言えば、<美>にあたる。
ダヴィンチは言うまでもないが、キューブリックも才能の人「天才」であり、
愛の人である<生>のベートーヴェンやJ・レノン、あるいは本質の人<原>のゴッホとは、タイプとして明らかに違う。
<生>と<原>は完全なるもの…、意識を完全に満たし得るもの…。
それに対し<美>は、どんなに美しくても完全にはなり得ない。
美はその時は良くても、時間の経過や感覚の変化で朽ちてしまうからだ。
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だから<美>であるこれらの作品も、本来<完全>ではない。
だが・・・、だが、それらは<完全ではない>とは言い切れないのだ。
その途方もない才能が、本来なら分からないはずの未知なる領域まで、演出によって見事に、非の打ち所のないレベルで創造されている。
「2001年」で言えば、最後の赤ん坊がそれだ。
あの赤ん坊によって、意識のその領域に到達しなければ認識できない未知<神秘>をも、まさに表現し得てしまっている。
天才とはなんとすさまじい、才能とはほんと恐るべし、って思う…。
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大学の頃初めてこの映画を見た時は、最初の猿の場面が退屈で退屈で、結局宇宙にいく前に観るのをやめてしまった。
ちゃんと観たのは、2年前の映画・ジョディフォスター主演の「コンタクト」を観てから(おととい wowow でやってた)。
「コンタクト」も「ふぇ〜、面白かった〜」なんて思ってたら、実はあれの元ネタが「2001年」だと聞き、「これは改めて観ねば!」と思ったのだ。
「何かある」とは予感してたけど、まさかこんなにすごいものとは・・・。
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1968年に作られた(生まれる前やん!)映画「2001年宇宙の旅」。
まだ技術が確立されてなかった時代に作られたその見事すぎる特撮も、特撮という面では今の映画は上回ったかもしれない。
でもこの映画の質を超えるのは、かなり難しいんじゃないかな。
もうすぐ2001年、2001年を過ぎてもこの映画はまったく色あせず、ますますその価値を高めていくことだろう。
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99/5/12作成 ぜひ一言!アンケート |
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