エッセイ「大事な何か」 第3章 社会 第4項 政治

< 民主主義 >


 民主主義には、少なからず欠陥があるのかもしれない…。
−所詮、大衆は社会全般や将来のことなど、目に入らない。
地元に国の予算を引っ張ってきたり、公共事業を誘致するしか頭にない。
国がいくら借金を築こうが、後世に汚染された環境を残そうが、自分さえ良ければいい、今さえ良ければいい−
そんな利益誘導と利権漁りまみれの民主主義など、社会を堕落させるものでしかない、ということだ。

 

 大衆は自分の都合でしかない要求を政治家に求めるだけ。
政治家は票田の為に、支持団体・利益団体の要求を通そうとするだけ。
役人は彼らの要求を飲むことによって、自分たちの今ある権益を守るだけ。
大衆は役人に上から統制され、役人は政治家の下に隠れ、政治家は大衆に媚びる。
政治家が役人の権益の、温床を改善することなどできない。
懐に入る不透明な金の流れを役人につかまれているため、そんな不穏な行動を取ったらたちまち、脱税の捜査が飛んでくるからだ。
かくして、利益団体・役人・政治家、三位一体の腐敗政治が完成する。

 

 そんな光景を見せつけられ続ければ、「民主主義はやっぱり欠陥だ」とも思いたくなる。
しかも大衆はこともあろうに自由より上から監督されるのを望んだりする。
上から全面的に規制された群れの中の一員であれば安定できるし、やることを上から与えられるので、物事を自分で考えなくても済むからだ。
国民がそう選択すれば、民主主義は自由主義でなく全体主義となってしまう。

 

 

 だがそれでも、「それでも民主主義はすばらしいものだ」と信じたい。
きっと、「きっと民主主義は何よりすばらしいのだ」と思いたい。
なぜならそのような選択も、自由であって初めて実現するからだ。
たとえどんな愚かな選択でも、それは自分で下した決断であるからだ。

 

 優秀な人が、人々を導けば話は早いのかもしれない。
でも、いくら「善い」からって、自分の行動を他人に決められたくはない。
いつまでも上から指導されたくない、間違ったとしても自分で決めたい。
自分で決めればその生じた責任で、過ちも愚かさも自分のこととして感じられる。
その間違いを間違いだと気づけば、自分は一つ成長することができる。
そうすれば未熟な自分も、いつか自由を謳歌できる人間になれるはずだ。

 

 −自由を享受しうる能力が備わるまで民衆には自由は与えない、ということは、「泳げるようになるまで、水には飛び込ませない」ことと同じ…−
そんなことを、イギリスのマコーレー卿という歴史家が言ってた。
「無理だ、無理だ」といつまでも管理されてたら、自由など永遠に実現できないし、今の日本の文化レベルは、決してそんな低いものではないはず。
上からの統制を維持するために、人の失敗に付け込んで強調し「監督が必要なのだ」などと思わせようとするのは、本当にやめてほしい。

 

 

 人間は決して、受動的な羊なのではない。
自分で考え行動することができる、自分で立つ勇気を持つことができる。
険しい環境である<自由>でも、充分やっていける存在になれる。
自分で判断できる自由のある、民主主義・・・。
それは、人を成長させてくれる唯一かつ最高の政治システムなのだ。
民主主義であり続ければ、人は自らの力で社会を良い方向に導くことができるのだ。

 

98/9/29作成

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