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エッセイ「大事な何か」 |
第3章 社会 第4項 政治
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< 原則:自由 > |
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「東欧の人々と自分たちの立場の類似に、ほとんど気づかない」(注)
オランダ人ジャーナリストK・V・ウォルフレンの、日本人観である。
それは、共産主義下にあった東欧とこの国がほとんど同じだ、ということ。
彼によれば「在日のハンガリー人、ポーランド人、チェコ人が本国でかつて経験したものより、日本人の生活が政治化された度合いはひどい」らしい。
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上からの全体的な統制、中央官庁を頂点とするピラミッド、密室・不透明な裁量、巨大組織の非効率化・腐敗化、財政は悪化の一途、教育の統制、そして事情に通じてない下っ端は上役に無理難題を押し付けられこき使われる、等々…。
何だかたしかにどこかの国みたい、でも日本は自由の国、実際自由主義だ。
その辺りが、この国のより難解なところ…。
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気になることの一つに、法律に規定される「原則〜」という記述がある。
普通「原則〜」と言われれば、原則がメインであると認識する。
だが原則はあくまで原則、別に必ずしも全部がそうである必然はない。
それによってその「例外があっても構わない」ということは、いつしか例外がメインでも大丈夫、と解釈されることとなる。
それどころか、しまいにはそれは「全て全く従わなくてよい」という風になってしまう。
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国家行政組織法第三条によると、公正取引委員会は大蔵省との人事交流において「原則:交流なし」らしい。
しかし実際には公取委の委員長は、何代にも渡って大蔵の天下りポストとされていた。
それでも別に、その「何とか法」に触れて犯罪になることはない。
すなわち「原則〜」とは、「全く守らなくてもいい」という法律を骨抜きにする為政者の常套手段なのだ。
それは「原則〜」とは、全てが無意味だったりする、ということなのだ。
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この社会は名目上は自由である、原則は自由である。
でもその「原則:自由」によって、かえって窮屈にさせられてないだろうか。
失敗のみが指摘され、やる気が削がれることによって、わざわざ「上からの管理を求めてしまう」という状況に追い込まれてやいないだろうか。
もしそうなら、自由なのに「自由を選択しない」という哀しい事態になってしまう。
注:「人間を幸福にしない日本というシステム」K・V・ウォルフレン
/ 毎日新聞社
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98/9/30作成 99/3/9改訂 ぜひ一言!アンケート |
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