エッセイ「大事な何か」 つれづれ

< 生徒と受験生 >


 小・中・高校生には、二つの属性があると思います。
一つは学校の「生徒」、もう一つは「受験生」であること。
ここに問題の源泉があるのではないでしょうか。
生徒というのは、言うまでもなく学校の勉強をすればいいわけですよね。
しかし受験生は、受験に突破するための勉強をする必要があります。
つまりここに、相容れない二つの側面があるわけです。


 ただ、問題とされるのはいつも「生徒」の方…。
しかし生徒の問題というのは、個々の子供の問題あるいは親のしつけのなど、どちらかというと社会的な問題である気がします。
学校の先生は、そういうのもひっくるめて全ての対応を求められますよね。
そうした生活指導だけでも充分過ぎるほど大変なのですから、受験の対応などましてや高い偏差値に対応するなど、物理的に不可能でしょう。


 教育の問題とは、「受験生」の問題ではないですか?
それは学校で対応できるものでなく、制度で対応するものです。
それなのに文部省(中教審も含めて)は、問題を「生徒」の問題として扱います。
「受験生」という部分は決して表に出さず、それを生み出す構造には手をつけないで問題を学校と学校の先生に押し付けるのです。



 

 私が教育を統括している官庁を不信に感じるのはこのためです。
結局、なぜその制度的なところが直されないのか、それどころかそこは避けようとするのか、と考えると、その仕組みを維持したいからださえ思えてきたりするのです。
やっぱり上から監督しようとする思惑のためなのか、と。。


 人生というものは、ただでさえたいへんですよね。
子供に無益な受験で傷を負わせなくたって、社会に出れば十分大変です。
私はこの「受験生」という側面は、全くなくても支障はないと思ってますし、「生徒」としてじっくり見てあげることこそ、心の余裕をつくりしっかりして人間に育てることになるのでは、と思うんです。



2000/2/2作成

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