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エッセイ「大事な何か」 |
第3章 社会 第2項 教育
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< 学 校 >
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この国では、学校では何もしない。
じゃあ、何をしているかというと、何もしていない。
何かをしてはいけないのだ、何かしたら大変だ。そうなったら周りの和を乱してしまう、秩序を損ねて先生を煩わせてしまう。
「どうすれば学校は一番喜ぶか」というと、何もしないこと。
何も起こらないことが、平穏無事な毎日を約束してくれる。
何かして問題が起こるより何もない方がいい、何もしない方が安全なのだ。
だから学校では何もしない、ただひたすら黙って目立たないようにする…。
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そこでは勉強さえしない、学校の授業など塾で一年も前にやった。
受験後もやっぱり学校では勉強しない、大学に至っては行かなくても良い。
何もしない、勉強さえしない学校、そんなものに何の意味があるのだろう。
「塾があるから受験が加熱する一方なのだ、子供たちにゆとりを与えるために塾を規制すべきだ」と偉い人は言う。
でもどうせだったら、学校をなくした方がいいんじゃないか。
だって塾ではちゃんと勉強してるけど、学校では何もしてないのだから…。
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学校における全ての問題の根本は、文部省にある。
文部省が全国の教育委員会を通じて、全ての学校を統治するその構造を改めれば、全ての問題は次第に改善の方向に向かうだろう。
学校の責任者である校長といっても、上からの意向で動く身分でしかないし、現場の先生にしても学習指導要領によって指導法が規制されている。
そもそも、何で教育というものを上から統一管理する必要があるのか。
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子飼の何とか審議会も含めて、彼らは事あるごとに「個性、創造、自由、多様」などという言葉を口にする、しかももう何十年も前から…。
自分たちが学校を上から抑えつけ、閉塞させてるのに何を言うのだろう。
でも、教育現場で不祥事が起きれば、罪人にされるのはいつも先生や校長。
問題の張本人たちは何も言われないどころか、さも<公平な審判者>のごとく後から出てきて罪人を処分し、さらなる上からの指導に乗り出すわけだ。
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飛び級、公立の中高一貫、総合学科、学校・学科選択の自由化・・・。
現在検討されている改革案は、見事に<上からの統制>を抜かしているどころか、驚くべきことにその統制を強化するものだったりする。
上からの統制が温存されたまま、「飛び級」だの「選択の自由」などの自由化がなされたら、閉塞感はそのままに受験地獄が激烈になるだけだ。
何よりまず、学校を文部省の上からの統制から解放する。教える側が自立と個性が押さえられていて、どうして教わる側にそれが芽生えようか…。
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98/9/19作成 11/26改訂 99/3/16改訂 ぜひ一言!アンケート |
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