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エッセイ「大事な何か」 |
第3章 社会 第2項 教育
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< 頭の良し悪し >
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「テストの点がいい子は頭がいい」「成績が良いことは優秀だ」
今の受験教育が成り立っている以上、それが常識なのは明らかなこと。
でもそれは、はっきり言って思い込みであるにすぎない。
「成績が良い・偏差値が高い」ことは、実はあまり意味がないどころか、<頭の良さ>と反対のことを示す指標にさえ、なり得るものだったりする。
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求められている通りに答えることが、頭のいいことだとは限らない。
要求されることを如才なくこなすことが、優れたことだとは限らない。
教育がもし<上からの統制>を目的としていたら、どうなるだろう。
上から監督する者たちが自分たち本位でしかない理屈を押しつけ、子供を好ましい形に矯正することしか頭になかったら、どうなるだろう。
もしそうなら、それを受け付けないのがその子に一番良いことではないか。
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受験戦争を脇目も振らず突き進む偏差値の高い子は、大人から見れば喜ばしい理想の子に違いない。
彼はどんな問題であれ、たちまち求めている正解を導き出すだろう。
だが彼が答えているのは、あくまで大人の喜ぶ答えであるにすぎない。
それは「個性が大事」と言っておいて上から抑えつけようとしかしない大人に自分の個性を封じ込まれてるにもかかわらず、迎合しているだけなのだ。
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彼はそこに込められた<統制>というおぞましい下心は見抜けない。
「こんなテストおかしい」という発想は、微塵も生まれない。
なぜなら、問題を解くことが正解なのだから。
しかし「そんなことはおかしい」と感じられることの方が、人間としてはるかに大事なことなはずだ。
それを見抜く力を養う方が、比べようもなく価値のあることなはずだ。
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今の教育で成績が悪いからって、頭が良くないとは限らない。
いくら大人が「おまえは頭がよろしくないのだ」とレッテルを貼っても、自分の理屈に従わないことに、感情的に嫌悪しているだけのこともある。
「子供の為」という仮面をかぶった矯正、それを見破っている成績の悪い子は、実は彼らの言う<個性的で創造力のある子>に他ならない。
その場合、成績の悪さは逆に本当の頭の良さを示すものとなるのである。
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98/9/17作成 11/26改訂 12/18改訂
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