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エッセイ「大事な何か」 |
第3章 社会 第2項 教育
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< この国の教育 >
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今日ほど、教育が問題となってる時はないかもしれない。
受験問題から多発する事件まで、その話題を耳にしない日はないくらい。
だが「教育改革」とか「個性や創造性を育む」なんてことは、もう何十年も前から言われ続けてきたこと。
それなのに、なんで一向に良くならないのだろう。
それどころか、どんどん悪くなっていく様相なのは、なんでなのだろう。
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いや、もはやその理由は分かっている。
今まで改善しなかったのもひどくさえなってるのも、何でだか分かってる。
それは、この国の教育にこめられた「統制」という目的のため。
つまりそれは「この国の学校が全国の教育委員会を通じて、文部省によって上から統制されている」ことが原因であるということ。
その原因を作っている所が改革しようというのだから、良くならないどころかより原因が見にくくされ、病状が進行するのは自明のこと。
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一向に改善されない画一性…、いじめや不登校を生む閉塞性…。
それらがどこから来るのか、全体を眺めてみたらいい。
いくら各学校や地域が個性や特色を出そうとしたって、行き着く先は全国共通試験なんだから、生徒が画一的にならざるを得ないのは当然ではないか。
生徒は上から一つの定規で計られ、学校は上から監督される身であるのだから、自由のない抑圧感が教育現場に充満するのは自然なことではないか。
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画一化反対と言いつつ、あくまで共通テストは続けようとする。
その一つの定規による序列はなくなるどころか、規模が大きくなってたりする。そんなことになるのも、あくまで上から統制する者がそのしくみを死守しようとするために他ならない。
なぜならその共通試験をやめてしまったら、自分たちが監督する上の立場であるという根拠を失ってしまうからだ。
もし子供が序列に縛られず、自分の責任で行動する自立した人間になってしまったら、自分たちの権益ばかりか存在意義もなくなってしまうからだ。
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この国の教育…、それは果たして教育なのだろうか。
だってその入試教育の最大の目的は、子供の「選別」なのだから。
教育とは、その子を一人の人間として育ててあげることのはず。
それは言うまでもなく、子供を思いやったもののはず。
でも上からの序列・選別を目的としたそれは、決して子供のためではなく、上からそれを課す者が自分たちを満足させるためのものでしかない…。
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98/9/19作成 11/26改訂 12/18改訂
99/3/16改訂 ぜひ一言!アンケート |
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