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エッセイ「大事な何か」 |
第3章 社会 第1項 文化
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< 傾向と対策 > |
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いつからか、行動原理が「傾向と対策」になっていた。
それこそが受験に始まる生存競争に勝つための、必勝法だったからだ。
傾向と対策、それは言うまでもなく「過去の傾向を調べそれに対する対策を以て、事にあたる」ということ。
そしてその効果は、単に試験だけでなく人生に対してをも機能する。
それまで成功した人の経歴等の傾向を見て、それに倣うというように…。 |
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だけど、どうしてもこの「傾向と対策」を続けることができなくなった。
たしかにそれを使えば、その競争には勝てよう。
だが傾向と対策を続ける内、いつしか勝つことが目的と化し、自分は何でそれをやっているのか見えなくなってしまう。
受験など、その勉強は自分の実につけるためのものでなかったりする。
それは「なぜやるのか」という目的や「自分はこうだ」という主観や感覚の入ってない、ただそれを突破するためのものでしかないからだ。 |
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これまではそれでよかったかもしれない、とにかく物の豊かな社会を実現し、欧米に追いつくことが目的だったのだから。
実際、企業の採用活動が「学生が何を学んだか」でなく「出身校はどこか」で計られてきたのも、受験・偏差値・出身校という流れが、その目的に最も合致した人材を選抜する仕組みだったからだろう。
欧米を模範回答とした「傾向と対策」、もはややるべきことは分かっている。
それを達成するための必要なのが理解力・吸収力であり、「なぜ」とか「自分」というのは、それに対する言わば障害にすぎないのだ。 |
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しかしキャッチアップは終焉し、航図なき航海をしようとする今、必要なのはこれまで切り捨ててきた「何のために」「自分はどうか」という部分なはず。
傾向と対策が功を奏す競争とは、「自分の特性」より「課題を指示通りこなせるか(従順性)」とか「難題や強制にどこまで我慢できるか(忍耐力)」といったものを要求し測定する、という側面を持つ。
それは他ならない、その子の「こうしたい」という自発性や、自分なりの何かをやろうとする創造性を押さえ込むものに他ならないのではないか。 |
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「傾向と対策」の特徴は、「答えがある」ということ。
だからそれに慣れきってしまうと、試験で模範回答通りに答えようとするように、先に答えを知ろうとしてしまう。
それはひるがえると、自分で考えることをしなくなること、「自分はどうなのか」という自己を見つめることから無意識に避けるようになること。
それこそが、「傾向と対策」の最大の功罪かな。
だって人生にしろ社会にしろ、先に答えがあるわけではないのだから。 |
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99/4/23作成 ぜひ一言!アンケート |
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