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エッセイ「大事な何か」 |
第2章 芸術 第3項 音楽
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< 不思議な音色 > |
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<ワルキューレの騎行>の「キュル、キュル」という音…。
メロディじゃなくて、あのベースの方のフレーズは本当に不思議だ。
どうしても引きつけられる、そこだけ延々と聴いていたくなる。
リヒャルト・ワーグナーという人は、なんという天才だろう。
彼の<タンホイザー>のメロディーなどは、ベートーヴェンの<エロイカ>よりはるかに英雄を思わせる。
しかも彼の曲には、このような不思議なフレーズまで交じっている。
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クナッパーツブッシュの演奏を聴けば、その不思議さをより感じられる。
彼の演奏はその「キュル・キュル」が、特に存在感を持って語られる。
しかも彼は、<マイスタージンガー>や<タンホイザー>においても、わずかにしか出てこないにもかかわらず、そのフレーズをしっかり表現する。
それはきっと彼も「あのフレーズが不思議だ」と思ってたからじゃないか。
そこに並々ならぬ魅力を感じていたからこそ、あのような演奏になったのだ、と思えてならない。
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でも、そのフレーズが重要だという正当なる根拠などない。
しかもその感覚は、音楽の才能とはあまり関係ないらしい。
ムラヴィンスキーなどは、あのフレーズを全く歌わせないし。。
それどころかワーグナー自身、そこに特別の思いはないようだ。
なぜなら、もしそう感じるならばそこをもっと追求し、あのフレーズのみで作品を作ろうとするに違いないはずだからだ。
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意識がなぜか反応してしまう不思議な音を追求する、ということ…。
それを「まさに実行した」と思われるのが、ブルックナー。
ブルックナーの交響曲はほとんどみんな、あのフレーズを掘り下げたもので、テ・デウムなどはいきなりあのフレーズで始まる。
それは旋律を、メロディアスな美を表現したものではない。
それは、意識がどうしても引きつけられる音をひたすら追求したものだ。
だからどの曲も、みな表現していることが同じなのだ。
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フルトヴェングラーも、ムラヴィンも、ブルックナー指揮者であるマタチッチ、ベストと言われるシューリヒトのウィーンフィルも、あのフレーズを歌わせないから、あまり不思議な気分にはならない。
やはりブルックナーもワーグナー同様、クナッパーツブッシュだ。
もしその交響曲9番に、8番並みの壮大なフィナーレとテ・デウムのようなコーラスの加わった最終楽章が完成されていたなら…。
それはベートーヴェンの第9をも超えようかという、ものすごいものになっていたに違いない。
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意識がどうしても魅了されてしまう不思議な音色がある。
それを表現した音楽というものがある。
それはモーツワルトやワーグナーのような完全なる旋律である音楽と比べれば、とても程度の低いもののように思える。
しかしそれは旋律ではなく、音色そのものが意識に働き掛けるものなのだ。
そこに音楽による感情を得るのではなく、意識の根源を感じられるのだ。
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# おすすめCD / クナッパーツブッシュ
「ブルックナー交響曲8番」ミュンヘンフィル
63年1月ライブ版(KICC-2407/8)
「ブルックナー交響曲8番」同フィル 63年1月スタジオ版(MVCW-14001/2)
「ワーグナー名演集」ウィーンフィル(ロンドン
KICC-2313)
「ブルックナー交響曲9番」僕のは輸入版 |
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98/9/9作成 98/10/7追加 99/5/26改訂 ぜひ一言!アンケート |
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