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ムラヴィンスキーはよく「トスカニーニを彷彿とさせる」と形容される。
彼も一つ一つの音にすごい情熱を込めて、とてもキレのある演奏をする。
でも彼は、ムラヴィンスキーより音楽的な感じがする。
演奏はどっしりとした確かな足取りで、速度を変えることなく進んでいく。
その堂々となおかつ情熱のこもった演奏は、音楽としてすばらしいに違いないが、スピードにおける緊張感がない故に、リズムが客観的に感じられる。
そのリズムというものに主観を、<意志>を感じることができないのだ。
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リズムにおける意志をはっきり感じられるのが、フルトヴェングラー。
その演奏はスピードが大きく変動するため、常に緊張感が張り詰めている。
音がぶれる危険があるのに、そのリズムを安定させない。
それはこの曲に対して音楽である以上に意志を大事にしたからに違いない。
速度における意志、言うまでもない重厚で奥の深い音。
爆発的な盛り上がり、ベートーヴェンを思わずにはいられない怒涛の突進。
そのすばらしさは、第五の最も偉大な演奏だと確信させるほどのものである。
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だが問題はムラヴィンスキーだ。
フルトヴェングラーはその変化が大きい故、リズムの意志が分かりやすい。
だが、もしこのスピードの変動の幅を小さくしていったらどうなるだろう。
そこに残るのは普通の速度ながら、リズムにおける意志を含んだ旋律。
スピードの変化がないにもかかわらず、緊張感が充満した演奏。
ムラヴィンスキーの演奏というのは、まさにそういう感じなのだ。
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一見すると、客観的でしかないように見えるその演奏。
しかしそれは確かに、動きに対する意志で充満した音なのだ。
そこには、とてつもない神経と恐ろしいまでの集中力が擁されている。
それは拡大して見れば、それぞれが強烈に自立しているのが分かる。
客観的に見えるのは、意識的に「感情的になるまい」としているから。
それは感情的な演出を一切排しつつ、それでいて曲に込められた核の部分を表現したという、とてつもない偉業なのだ。
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こういう演奏こそが、ベートーヴェンの演奏に違いない。
ベートーヴェンが感情的で、押しつけがましい演奏をするわけがない。
へたな効果を狙って感動させよう、などということは最も嫌うはずだ。
ムラヴィンスキーは、旧ソ連体制下に胸に勲章を付けて演奏したことから、「全体主義・権威主義の象徴」と言う評論家もいる。
でも僕には、あんなに圧倒的な主観で、あれほど一つ一つの音に自分の感覚を込める人が全体主義・権威主義者であるとは、どうしても思えない…。
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おすすめCD / ムラヴィンスキー
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「ベートーヴェン4番・モールワルト39番」同フィル(メロディア
VDC-2032)
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POCG-1391/2)
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98/9/9作成 98/10/7追加
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