エッセイ「大事な何か」 第2章 芸術 第2項 才能

< 天 才 >

 

 「天才」というのは、まさに圧倒的・・・。
だって、並みの人間がどうあがいてもできないことを、いとも簡単にやってのけるのだから。
もう始めから、周りよりはるかに優れているのだから。
そこに生み出されるものは、言うまでもなくすばらしい。
だが、天才は人間の「生」において、核心には位置してない気がする…。


 例えばサッカーで言えば、ロベルト・バッジョ。
常人とは半テンポ違う変速的なボールタッチ、マジカルなドリブル、受け取るFWがびっくりするほど無理な所にも通してしまうスルーパス。
彼は世界の人が認める天才、その力はまさに特別なもの。
でも彼をずっと見てきて思うのは、バッジョのプレーはパパンのような感動をしない、ということ。
バッジョの方がはるかにすごいのに、それはいったいどういうことなのか。


 それは、バッジョのプレーはあくまで彼の能力の範囲内だから。
周りと比較したら圧倒的だけど、彼にしたら大したことではないのだ。
彼は通常、70%の力しか発揮していない(もちろんそれだけですごい)。
そして時折見せる80%の力は、観る者を驚愕させるのに充分なもの。
一方、パパンは常に100%の力を発揮しようとし、ある瞬間101%になる、つまり自分の能力ゲージをその刹那、超えてしまう。
自分を超える・・・、それこそがその感動を生み出す源泉なのだ。







 相対的に他人と比べれば圧倒的に優れている。
しかしバッジョにありありと見えるように、それ自体が心を真に満たし得るものではないのではないか。
天才というのは、得てして<迷い>があったりする。
ダヴィンチ、ミケランジェロ、モーツワルト、何かマイケル・ジョーダンにもそういう感じを受けるような・・・。


 天才はたしかにすごい、その力は途方もなくすばらしい。
ただ、その能力自体が人を直接満たす、完全に満たすものではないなら、それは人が生きる上において、核心的な作用を及ぼさない。
それに対し「自分を
100%出し切る、そして…」という方は、万人に当てはまり、なおかつ自分を満たし得る、という「生」の核心にあるように思う。



98/9/10作成 99/5/25改訂

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