エッセイ「大事な何か」 第2章 芸術 第1項 絵画

< 狂気と芸術 >

 

 「私と狂人との違いは、私が狂人ではないことである」
サルバトール・ダリの言葉であるが、それは要するに「自分は社会的な常識人でありながら、アウトサイダー芸術を創造できるのだ」ということだ。
アウトサイダー芸術とは、精神を病んだ人・独学者・霊感に優れ独特の幻視を見る人が描く絵画のこと。
自分の芸術は彼らと同質だが狂人ではない、というのである。
でも、どうもその言葉を素直に受け入れることができない…。


 アウトサイダー芸術には、恐ろしいエネルギーが充満している。
それは幻想的・非現実的なものながら、絶対的な力で溢れている。
その受ける衝撃とは、まさにゴッホから受けるものと同じもの。
自我の奥に潜む根源的な意識を、揺り動かす力を備えたもの。
彼らは正規の美術教育を受けてない故、一般的には芸術家とは言われない。
しかし、これを芸術と呼ばずして何を芸術と言えようか!


 そのアウトサイダー芸術と正規の芸術家であるダリやクレイの作品。
それらは一見、同質のように見える、いや、同じ幻想的な世界でも、彼ら芸術家の作品は高度な技術に裏付けられて、とても高い完成度を誇っている。
それに対しアウトサイダーの作品は技術どころか幼稚な、言わば子供の絵で、とても比較できるようなものではない。
しかし技術は高度でも、芸術家の作品からはあの恐ろしい衝撃波は受けないのである。







 それら芸術家の芸術は、やはり思考によるもの。
その受けたインスピレーションを形にし洗練させた「思考」による展開。
人間が思考するのは、日常で生きる人間であれば当然のことである。
だが、アウトサイダーたちは「無心」、すなわち考えてないのだ。
彼らが捉えているのは思考の混じらない「本質そのもの」であり、そしてそれが本質だからこそ、見る者の意識が反応してしまうのだ。


 アウトサイダーたちは、現実社会では優秀ではないかもしれない。
しかし彼らは、知性を交じらずに話し、行動することができる。
人間の根源的な意識を、真実を感じることができる。
それは知性人に劣るどころか、実は途方も無く優れていること…。
そう思えば彼らを尊敬し応援することこそすれ、下に見たり利用したりなんかどうしてできようか。。


 狂気と芸術には、少なからず近い関係がある。
でもそれは、芸術には必ず狂気が必要だ、というのではない。
アウトサイダー芸術が示すものは、人間における正しいものは思考でなく、知的な意識の下にある本質的な意識だということ
人間はそれに、どうしようもなく引き付けられてしまう、ということ。
それは日常を生きる人間に、忘れているものを思い起させてくれるものなのだ。



 

98/10/15作成 99/5/18改訂

ぜひ一言!アンケート

Copyright © 1998-2000 Arty