エッセイ「大事な何か」 第2章 芸術 第1項 絵画

< ピカソ >

 

 ピカソは20世紀最大の芸術家と言われている。
その名声は世界中に知れ渡っており、おそらく今後もそれは揺るぎないに違いない。
それに異論はないが、ただ感じることはある。
それは、彼の芸術はゴッホのそれとはちょっと違うものだ、ということだ。



 彼は作品の対象を抽象化したり、変形させたりする。
それは、−自分のイメ−ジを忠実に表現しようとするためであり、常に自然に浮かぶ衝動的な思考を、消滅させたり押し殺したりすることなく、カンパスに捉えようとした結果、もちいた技法である
(注)−。
彼は、−生涯の多く時期、同時にさまざまな様式をもちいて制作を行ない、その時々の気分に適し、その気分を最もよく表現できる様式を選んだ−、という。


 これはいったい、どういうことを意味しているのだろう。
というのは、ゴッホはそうして描いたわけではないからだ。
そこにはピカソのそれと同様、現実離れした世界が描かれている。
でもそれは、決して変形させたわけでも、抽象化させたわけでもない。
それはまさにそのままの形をしており、彼がどうしようもなく直面させられた現実なのだ。







 無意識には、真実も虚構も無秩序に同居している。
インスピレーションとは、たしかに無意識から汲み取った意識ではある。
しかし、それが真実であるとは限らない。
<ひらめき>や<直感>も、単なる思いつき、ただセンセーショナルな話題を狙った奇抜な考えなだけかもしれない。
つまりインスピレーションとは、真実とも虚構とも意識せずに、意識できずに取り出されたもの、そしてそれは「思考である」と言えるものなのだ。


 −ピカソはアフリカの仮面や風変わりな未開社会の彫刻に強く魅かれた。
それらから溢れる剥出しの生命力や感情的な力に、イマジネ−ションを強くかきたてられた−、という。
このアフリカ芸術は、ゴッホの芸術と同質のもの。
そこから受けたインスピレーションを膨らませたピカソの作品は、イメージによる創造、「思考」の芸術なのだ。


 生前にして、絶大なる名声と莫大なる富を手にしたピカソ。
芸術家としてこれ以上なく成功したわけだが、でも彼の用いたさまざまな様式や手法は、真実を表現したいゆえのもがきのようにも見える。
後に子供の絵の展覧会をみた老齢のピカソの言葉は、何だか印象的だ。
「この年ごろの私はラファエロのように描くことができた。でもこの子供たちのように描けるようになるには一生かかった」

注:「THE GREAT ARTISTS 5 ピカソ」/ 同朋舎出版



98/9/11作成

ぜひ一言!アンケート

Copyright © 1998-2000 Arty