エッセイ「大事な何か」 第2章 芸術 第1項 絵画

< ゴッホ >



 ・・・、すごい、すごすぎる・・・。
言葉なぞ出ない、今まで自分がどこかへ行っていた。
こうしている今は、ちゃんと自分がある。
<自分>という意識が、自分を支配している。
その自分が、どこかへ飛ばされてしまっていたのだ。
なんと不思議なことだろう…。
なんと恐ろしいことだろう…。



 自分をそんな風にさせたゴッホの絵。
それに焦点を合わせるや否や、恐ろしい衝撃波が襲ってくる。
得体の知れないエネルギーが、心の素の部分まで侵入してくる。

そしてそれが、自分の精神安定化装置をカシャカシャと解除していくのだ。
それはとても感動という一言で済むような、生易しいものじゃない。


 いったいこの絵は何なのか、何がこのような衝撃を与えるのか。
それは、何とも言えない異様なものである。
あちこちに飛んでいる色、空間に渦を巻く流れ、歪んでいる物質…。
そこに描かれている世界は<現実>ではないものである。
しかし何てことか、それは想像とか空想などという<虚構>ではないのだ。
なぜなら、そこからは一切の迷いが、微塵も感じさせられないからだ。







 「星月夜」や「糸杉」、そして何と言っても「最後の自画像」。
それらは、過敏すぎるまで敏感になった感覚によって描かれたもの。
表面の意識でなく、意識の奥の本質的な領域によって表わされたもの。
それはすなわち信じられないことに、今ここにいる考えている自分ではない、無心の状態の意識によるものなのだ。
その絶対的なる説得力は、まさにその意識が根源的なるがゆえの絶対性から来ているに他ならない。


 人間は生きている、意識を持ってしまっている。
その意識の中には当然、生命の根源的な意識の領域も含まれている。
それをもう持ってしまっているからこそ、その根源的な意識に接触すると、見ている者の意識も揺り動かされる。
その意識を共有しているからこそ、それに出会うと意識が共鳴してしまう。
そして、その意識が<自分>というものを構成する意識よりも細かで小さなものであるゆえ、自分を安定させる<かせ>が外されてしまうことになる。


 ゴッホの絵…、それは本当にすごいもの…。
実物を見たわけではない、ただ画本を眺めてただけだ。
特にあの「最後の自画像」など、究極の芸術だと思わされてならない。
通常なら表には出ない無意識の領域と、表面の意識とが交ざり合っている。
それは、無意識をも含んだものを完成された技術によって表現した、まさに<完全なる>ものなのだ。



98/9/11作成

ぜひ一言!アンケート

Copyright © 1998-2000 Arty