エッセイ「大事な何か」 第1章 人生 第4項 常識

< よいこ

 

 「よいこ」って、ほんとに「よいこ」なの?
そりゃ、子供が何でも言うこと聞いて、与えられた課題をこなすなら、大人にとって喜ばしいこと。
もちろん中には、そういうタイプの子もいる。

でも、大人がよいこを求めることで、かえって子供をおかしくさせないかな。

 

 「これは良いこと」「これをやりなさい」と大人が教えることは、何ら間違ったことではない。
それはきっと、子供のためを思ってのことだと思う。
だが、とにかく早く成長するようにと、次から次へ「良いこと」を押し付けられることで、彼の自我が育つのを妨げてないだろうか。
だって物事って、自分で思考錯誤し体験し初めて実感するものなのだから。


 しかも、次から次へ「よいこと」をさせられ続けると、「じゃ、自分は何なのだ」「自分は自分でいちゃダメなのか」なんて感じてしまう。
その「良い事」「言う通りにすること」は求められているけど、ありのままの自分は求められちゃいない、と感じること。
つまりそれは、「自分は本当には愛されていない」ということなのだ。



 

 大人が喜ぶのは「言うことを聞いた」とか「良い点を取った」とか、自分が満足を得られた時…。
「自分を見て欲しい」「そうじゃないんだ」とうまく説明できないから暴れたりして訴えても、そういう親は「何でそう手を焼かすのか」と嘆くだけ。
あるいは素直な子は、あくまで愛されようとして自分で自分の存在を否定し、自らを歪め続けることで、心がおかしくなってしまう…。


 「よいこ」が子供をおかしくさせる事もあると思う。
「子供のため」と言いつつ、実は自分に都合で子供を見ていないかな。
たしかに子供は未熟だから、たくさん騒ぎを起こす。
でも、そうした日々の小さな騒ぎこそ子供の実感を促すもので、そんなのみんなで見守ろう、みたいなゆとりが社会に欲しいな(^^



99/1/25作成 2/25改訂 3/10改訂
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