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エッセイ「大事な何か」 |
第1章 人生 第3項 真実
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< 歓 喜 >
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−あらゆる幸福は消極的な性格であって、積極的なものでない−
「ショーペンハウワー」(注)にはそうある。
ふつう幸福というと「輝ける幸福」「ばら色の人生」など明るいニュアンスで捉えられるが、欠乏こそ幸福の基準。
全ての願望・欲求の根底は欠乏であり、いつも願望が満たされることによって幸福は生じ、広い意味で欠乏は苦痛なことである。
つまり、満足とは「苦痛からの解放に過ぎない」ということだ。
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−人間の一生は、ことごとく願望と到達との間を流れ続けていく。
願望は欠乏があるから生じ、到達はやがて豊満へと移行する。
欲していたものが手に入ると、所有はそれ以前の魅力を奪い去り、欲求は新しい形に取って変わるか、でなければ空虚・退屈がそれに続く。
そして退屈との戦いは、欠乏との戦いと同じく苦しいものである。
「願望と満足」「欠乏と到達」との関係が、早すぎもなく遅すぎもなければ、この二つから生じる苦悩は最小となって、それが幸福となる−
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そーだよなーって思う(^^
ただ、どーしてもそれに当てはまらない心の状態もある感じがする。
それが「歓喜」!
心がどうしようもない歓喜でいっぱいになることがある。
どうしようもない感動が湧き出て、それがとめどなく溢れてくる時がある。
その時の気持ちは、とても消極的などというものではないのだ。
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その完膚なきままに満たされる意識に「絶対」を感じさせられる…。
その意識の根幹からいっぱいになるさまに「完全」を感じさせられる…。
完全なる意識に近づくことができる。。
本当の自分を思い起こすことができる。。
それが何より自分に「幸福」を与えること…。
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歓喜…、それは意識の中で特別重要な感覚である気がする。
だって、消極的であるはずの感覚に「完全」を感じられるのだから。
間接的であるはずの満足に「絶対」を感じてしまうのだから。
そして、ということはすなわちそれは、価値観というものにおける絶対的な基準が在る、と言えてしまえることに他ならない。。
注:「ショーペンハウワー」遠山義孝 / 清水書院
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98/9/3作成 99/2/23改訂
2000/3/17改訂 ぜひ一言!アンケート |
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